アラフィフのつれづれ

50代でHSP気味のシンママの転職日記とつれづれ

15年という年月

アカツキ

東日本大震災から今日で15年。


被災された方々にとっては節目なんてものはないかもしれないけれど、少しでも心穏やかに過ごせますように…。


みんなあの大きな災害を思い出して、当時は何をしていたのかふと考える日なのかもしれない。

多くの人にとって忘れられない記憶。


私はと言うと、女性起業家のもとに駆け込んで、期間限定で東京都の委託事業を手伝っていた。シングルマザーになるかもしれない私が、シングルマザーの為の就労支援。


大きなイベントが終わって、事務作業でオフィスにいる時に震災に遭い、その日は帰宅出来ずに、ビルの近くのラーメン屋で同じくシンママの同僚とテレビで惨状を観ていた。

「就職困難者で帰宅困難者って嫌ですね。」なんて自虐ネタを言って笑いながら。

当時はまだまだ女性の再就職は厳しかった。


そしてまだスマホもLINEも無く、iモードで仙台が震度7という情報が出てから携帯すら繋がらなくなった。PCのメールで辛うじて兄弟と連絡が取れてから、家族の安否が確認できて安心した。

オフィスで横になっていたら、真夜中に仕事のファックスが届いたり。眠れない夜を仕事をして過ごしていた人も少なくなかった。


15年前から今迄変わっていないようで、世の中変わっているのね、としみじみ。


そしてさらに遡る事15年。当時何をしていたかと言うと、友人達とマイアミにいた。

ちょうど侍ジャパンがマイアミ空港に着いたというニュース聞いて思い出した。


今から30年前はドジャースの野茂英雄投手がアメリカで旋風を起こしていた時期。

マイアミのベロビーチがキャンプ地と聞いて、たまたま南部を旅行していたので、観に行こうと。



若かりし頃の野茂選手。精悍な印象。

アルバムもレトロ感あるのでそのまま。



当時はガードも今ほど固くなくて、近くで練習が見られた。

側にいた気の強そうな女性通訳に追い払われかけたけど、野茂選手は快くサインに応じてくれた。その女性通訳はのちに大谷翔平を迎えたエンジェルスで、広報になっていたみたい。今はどうなんだろう。まぁ運は行動力で掴む方なんでしょう。


当時は円高で1ドル90円くらいだったから、何処でも自由に好きな所に行けた良き時代。


今大谷翔平選手をアメリカまで観に行こうとしたら、倍以上かかるだろうな。

若かったら行っているかもしれないけど。


そしてこれから先の15年後はどうなっているんだろう?

我ながら先が見えない💦


でも今更ながら、良くも悪くも自由気ままに生きて来た人生。


この先良くなるように、与える側にならないと。

親は辛いよ

アカツキ

また明日から急に寒くなるみたいですね。

一日中雨☔


でも雨音には癒される…

眠れない夜にはYouTubeでひたすら雨の音を聞く。何だろう、しっとりと潤う感じ。



ここへ来て子供の勤務地が決まった。


都心のど真ん中。ここからも通えなくは無いのだけど、一人でアパート迄決めて、私は言われるがままに不動産会社から保証人登録のメールが来て手続きをした。

まぁ早く自立、一人暮らししたいのはわかる。


問題はそこから。

まずは、引越し先の住所を聞いたら中々教えない。

いや、カーテンとか色々揃えるものがあるでしょうから、必要なものは援助するよ。と言っても頑なに拒否からの泥仕合。


今までの不満やら、薬学部に無理勧められて、行きたくも無い道を強制された事を恨んでいると罵られた。


子供からすれば私は所謂毒親なのだろう。


親のエゴで押し付けたのではなくて、私が味わった苦労をして欲しくなくてとの思いからだったのに。でも逆の立場なら嫌だよね。

なので、それはずっと謝って来た。


あと、娘の不満は私自身に対してもある。

40代で、正社員に復帰の転職をしてから朝7時に家を出て夜10時に帰って来る生活。

平日は料理すら殆ど出来ずにいた。

そして、一昨年転職してからは家にいる間暫くグッタリで、親の弱さを散々見せまくっていた💦


今の、ソルジャー採用みたいな会社を選ぶ事自体が愚かだと思うと。


そこまで言われてもう、全身脱力。


    ↓↓こんな感じ↓↓




今の子供達の進学、就職の売り手市場からすると、私達団塊ジュニア、氷河期世代は比べ物にならないくらい厳しかったのよ。

今のTikTokとかで流れている新卒就職先のtier表とか見ると、お気楽さ加減に頭に来る。


若者からするときっと私は最早老害女。その価値観で、今の時代を生きる子供の進路に口出しするなという事だろう。


そしてトドメは今から同居人を探せば?

40代迄は、複数あった誘いも断って来たのに。



海が見たい。黄昏れたい。


今の私はこんな出口のない森のなか迷っているようだ。



ふふふ、酷すぎて結構面白い😛


でもまぁ、私がここまで頑張って来れたのは、子供がいたから。

元気で幸せになってくれればそれで良い。


と、心をなだめていたら、中学時代の同級生から連絡が来て、なんと30年ぶりくらいの同窓会のお知らせ。

担任の先生達も参加されると。

これは行かなくちゃ!


担任の先生には割と期待されていたのに、なんか当時やんちゃ系の男子と付き合ったりして、あまり良い生徒ではなかった。

頂いた色んなアドバイス、大人になってから心に沁みました。と感謝を伝えたい。

GO★FIGHT★WIN

アカツキ

何のこと?と思うタイトルですが、23年前のB’zの歌。

Ultra Soul がヒットした頃のアルバムのラスト曲でノリが似ている。


ラストのUltra Soul !のフレーズが

This is 魂のwar!  みたいに終わる元気な曲


久々に聞いた。イケイケな感じが懐かしい笑

私も当時元気だったけど、日本全体もこんな感じでまだまだ勢いあったよなと思いつつ、昨日は一人でドライブ。


理由は、私が歯医者さんで定期検診を受けていた時に、施設にいる母から、まゆ墨と暖かい靴下が欲しいと電話があったから。


まゆは職員さんが描いてくれるのだけど、いつも借りているから欲しいのだそう。


16時からの面会で時間があくので、遠回りで真冬の高速を飛ばしノーマルタイヤで行けるギリギリまで行く。


日中も氷点下でどんよりした雲から差す日差しが真冬っていう感じ




ここまで寒くなると、逆に好きだと思える季節



子供と一緒だと、車内で聴く音楽も韓流とか、King Gnuとか、今時の曲になる。最近の若いアーティストの才能は素晴らしいので、それはそれで良いのだけど、一人になると聴くのはやっぱり昔の曲。


道すがら色々考える。


先日元同僚のネパール人から二人目の赤ちゃん誕生の連絡がグループチャットに来た。

上の子の新大久保でのライスシャワーパーティも賑やかだった。今は日本にいる外国人の方が元気かもしれない。


彼は実家に仕送りしながら、日本でも家族のために戸建てを建ててローンも払っている。ネパール人の奥さんとのお子さんが、あまり日本語が話せなくて、保育園で進級出来ないとか色々悩みもあるみたい。でもいつも明るいのは、きっと自分の頑張りで豊かさを実感出来るからなんだろうな。


何で日本を選んだか?と聞かれ

子供の頃ネパールに来ていた日本人がとても尊敬出来たからだと答えていた。


こう言う話、他のアジア、例えば台湾やタイ人からも聞く。台湾は日本政府の統治が良かった、タイもODAでの日本人の指導のおかげで自国が発展出来た。自分達の利益だけを考えて荒らしていく何某国とは違うと。


勿論一部素行の良くない日本人達はLousy!と煙たがれていたけれども、基本的には思った以上に感謝されている。

先人の方々は偉大です。


正直、日本への移民については、私も会社でAIとインド人にポジションを奪われた立場だから、思う所はある。しかも今や外資の日本法人、アジアを含めた外国人の給与を日本人より高く設定している。


ま、それは現状の実力差だから仕方ない。彼らはトライリンガルで、ITリテラシーも高く、何より変化に強い。ついでに資産運用のテクニックもすごい。


まぁそういう優秀な外国人は一部で、他の人達が日本の治安を悪くしている説もあるけど、移民を排斥してこれ以上内向きになり過ぎたら、資源のない日本なんて、本当に凋落してしまいそう。


なんて考えながら、母の所に着いた。

お風呂上がりで、ちょっと疲れていたみたい。

短時間で切り上げた。


最近は、もしかしたら会えるのはこれが最後かもと思っている。